2015年12月8日火曜日

熊本大学入口名誉教授「現在の福島県、栃木県、群馬県、茨城県と千葉県の一部のセシウム137の沈着量は1平方メートルあたり1万~300万ベクレルを超えています。これは縄文石器時代以来初めてのことです。広島と長崎を別にすると、原水爆実験の時代にももちろん、ほとんどの日本人にとってこれだけの経験はありません。」

最近、こういう映画が公開されます。

 封印された「被ばく」の記憶を解く~映画「X年後2」
http://kiikochan.blog136.fc2.com/blog-entry-4453.html

これを見ると、丸で日本人は昔から被曝していたんだと、福島原発放射能事故くらいで慌てることない、過剰な心配は必要ない・・・みたいに受け止めたくなります、素人の私は。

でも、やはり、東日本に家族を残して居る私は気になります。

事実が知りたいです。事実を誤魔化しても意味は無いからです。


入口先生に、原水爆実験時に降下した放射性物質の量と、今の福島原発放射能事故による降下量の比較すると一体どのようなものなのか質問しました。


入口先生

グラフは原水爆実験時代の「死の灰」の降下沈着量です。(東京にあった気象研究所のデータ)  原水爆実験の時代に「第五福竜丸事件」(1954年)は日本人に衝撃を与えました。新聞は、「死の灰」の恐怖を連日のように報道しました。

直接の被害を別にすると、当時(特に1960年代)東京に降り注いで地上に沈着した放射性物質は、グラフのように1平方メートル当たり10~100ベクレル(年0.00025~0.0025ミリシーベルト)でした。それは、日本人の自然の体内被ばく量(5,300ベクレル)に対してさして影響を与える(何ベクレルもの上乗せになる)ほどの量ではありませんでした。現在の太平洋の海水1トンあたり1ベクレルが当時の原水爆実験の時代の放射能であると考えられます。
一方、現在の福島県、栃木県、群馬県、茨城県と千葉県の一部のセシウム137の沈着量は1平方メートルあたり1万~300万ベクレルを超えています。これは縄文石器時代以来初めてのことです。広島と長崎を別にすると、原水爆実験の時代にももちろん、ほとんどの日本人にとってこれだけの経験はありません。

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