2013年6月15日土曜日

【感動秘話】チェルノブイリの事故直後、全てを捨ててシベリアへ移住して油田の肉体労働で妻のお腹の中の娘シャラポワを守った偉大な父親

シャラポワ の知られざる半生 (一流テニスプレーヤー&一流モデル!) 1/3


http://youtu.be/3WVEwsqb09I




シャラポワの運命を変えたスター選手ナブラチロワの言葉


諦めずに続けたら、いい選手になると思います。



マリアは、まだ6歳なんだから、家族揃ってアメリカに行かなきゃ。
100万円以上のお金がかかる、
父は諦めなかった。

自分の親や、妻の親に頼んで借金。

将来を子供任せにしていては何も起きません。
チャンスは人生で一度しかない。
我が子が最高の自分になれるチャンスを助けてこそ親なんだと私は思います。

資金は親子三人でアメリカに渡る分はなかった。
母親を残して父親は娘を連れてアメリカに渡った。
アメリカに来た、しかし、テニスの学校は8才から。
年齢制限で一年待たないとならなかった。
所持金は7万。
諦める訳にいかなかった。
父親は、英語も満足に喋れない。
毎日朝から晩まで、午前中は皿洗い・午後はビルの清掃・深夜は工事現場
寝る間もないまま働いた。帰宅してから娘のご飯の支度。
友達もいない、言葉も通じない異国の地で、親子にとってテニスだけが生き甲斐だった。

家賃が払えなくて、路頭に迷いそうになったこともあった。

父は必死だった。
職場のレストランの残り物を持ち帰ったり、
自分が食べなくても、娘にはしっかり食べさせた。

アメリカに来て二年目。
身を粉にしてやっと資金ができた父はやっとアカデミーを訪ねた。

マリアの入学が認められた!
奨学金年間300万が支給された!

9才のマリアの実力を物語る貴重な映像は13:08から。

しかし、才能への嫉妬が陰湿な虐めとなって吹き出した。


マリアの心の悲鳴にいち早く気づいたのは父だった。
強くなりたかったら、どんなに辛くても絶対に人前で泣いちゃいけない。
でも、パパと2人の時は泣いていいんだよ。
それは人前とは言わない。

絶対に世界一になる。
なにがあろうと、自分にはテニスしかない。

11才で1億円の契約を結んだ。

14才のシャラポワが撮影したプライベート映像は03:18 から。

次第に英語もマスターし、仲間もできて、学園生活を満喫。

マリアの快進撃が始まる。
チェルノブイリの事故から15年。

目指すは世界一。

どんなことがあっても自分を信じ続けてくれた父との約束を実現するために。

2004年6月21日。

マリア・シャラポワの名前がこの日世界に轟いた。

親子の絆が、世界の頂点を掴んだ。

チェルノブイリ事故から18年。
マリア17歳で迎えたウィンブルドン。
当時のマリアは世界ランク15位ノーマークの選手だった。
しかし大方の予想を覆し、並み居る境遇を次々と撃破。
そして、見事、決勝進出を果たした。

6対1で第一セットを先取。
第二セットも、
ついにマッチポイント!

ウィンブルドン初優勝!

お父さんとの約束をついに果たしたんですね。

感動で涙出る。

マリアは両親についてこう語る。
私の人生に選択肢はありませんでした。
でも、両親が様々なリスクをおかしてくれました。
私が強い心を持っていられるのはそんな両親に育ててもらったからです。
感謝で一杯です。

自分の原点を決して忘れていない。

国連開発計画の、親善大使に就任。

原発事故の後遺症に苦しむ、祖国ロシアへ約1000万を寄付。

日本へ向けメッセージを。

大丈夫。
だって私はチェルノブイリの近くに住んでいた両親から生まれたのにこんなに元気よ。

現在、マリア・シャラポワはその両親とアメリカに暮らしている。












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